「あなたも私も」という世界
一人ひとりが自分自身の世界を知っていること
自分自身を信じ、自分自身を愛し、自分自身の豊かさを感じているということ。
自分自身に向き合い、それを知っているということ
自分自身が満ちたということを知り、自分自身が満ち足りたということを知る、足るを知る。自分自身がどれくらいで満ちるのかということを知っている。
満ちるということを知っている
自分の尺度があるということ
それは自分自身
そして自他の区別がないということ
それをいかに体現できるのか
それは自分自身がいかに生きるのかというところ
それは他人にこのレベルというところを教えるのではなく、それぞれのそれを引き出すということ
自分自身の満ちたところを、自分自身の足るということはどういうことかを、それ以上とそれ以下を知るということ
それ以上を求めることでも、それ以下を求めることもなく。
自分もなく、他人もなく、自分自身がそうであるということ。
これが満ちると、それを得ると、他人が減るということではなく、他人が得るということは自分が得るということ。自分が得るということは他人が得るということ。
それを具現化するかどうか、それを形にないもに伝える
物質世界に生きているということは具現化するということ。
すべてが具現化されないのではなく、来る人、集まる人、生み出すもの、もちろんお金、として物質世界に具現化するということ、ただそれだけ。
人々の心をリリースすること
満ち足りた、ということ、満ちるということを知るということ
一人ひとりが満ちて良いんだ、満ち足りでいいんだということを感じること
愛されて良いんだ、得て良いんだ、幸せになっていいんだ、
何かをストイックにするということ、我慢するということではなく、
何かを得るということを許可するということ
すべては十分な愛があり、十分に満ちていて、十分な愛に満ちていて、
なぜならそれは一人ひとりが打ち出しているところであり、得る人もいれば出す人もいる、出す人ももちろん得ている。というところで愛は無限である、愛は循環である。