内なるマスターを呼び覚ます

カルマのないマスターにチャネリングをして、必要なメッセージをお届けします。メッセージを受け取れば受け取るほど、あなたが、あなた自身の内なるマスターを呼び覚ますことになるでしょう

お金のことが不安なあなたへ

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なぜ人はお金というものにとらわれるのか。

 

 

自分が稼いだお金とか、そういうものに囚われる必要はない。

要は生きていければいいのだから。

 

一人ひとりによって、手に入れる方法、

うまく生きていく、ラクに生きていく方法が違うだろう。

 

そこには幸運も含まれるかもしれない。

だけれど過剰に恐れる必要もない。

 

 

まずは苦しんでこそ手に入るものだという

思いこみを捨てること。

 

 

 

大昔はないことが当たり前だった。

今と違ってその日暮らしをしていた。

 

狩りをして、捕まえられるかどうか、

狩りが成功するかどうかがわからない生活だった。

 

それが農耕暮らしをすることによって、

蓄えるということが多くなった。

予測を立てることが普通になったことから

悲劇が始まっている。

 

予測を立てているつもりでも、

実はそれはまったく当てにならないものでもある。

立てたという安心感だけものだったりもする。

 

本来はすべて、予測不可能なものなのだから。

 

 

今、現時点でたくさん稼いでいるように見える人も、

実は、来年も、再来年も

そうである保証はどこにもない。

 

にもかかわらず、それを信じているから

それが現実となっているに過ぎない。

 

 

いや、私は信じているのに、実現していない、と思うかもしれない。

本当に信じていることはなにか。

 

お金に対する恐れかもしれない。

お金に対する恐れはなくとも、

お金よりも大切にしたいことが

優先されているかもしれない。

 

 

 

不安な人を見つけようとすれば、

たくさんの不安な人を見つけられるだろう。

 

逆にお金の不安を持っていない人、

それはお金をたくさん持っている人ということではなく、

たくさん持っていても、持っているように見えても、

内心は不安に思っている人も多い。

 

そのお金を今、たくさん持っているかどうかではなく、

お金の不安を本当に持っている人と、

本当にお金の不安を持っていない人、

それはどんな経済レベルの人でも。

 

 

お金について考える時間、

お金という尺度に変換する習慣が強いことは不幸である。

 

その行動がどれくらいのお金を生み出すのかということではなく、

その行動がどれくらいの喜びをもたらすものなのか、

という新しい基準。

 

自分で新しい単位をつくるような。

それを人は、ときめきというかもしれない。

至福というかもしれない。

 

基準を変えてうまくいっている人は多い。

 

 

負け惜しみでなく、

お金に囲まれたところで幸せに、

本当の幸せが得られないだろう、ということに

気づいている人は多い。

 

お金にコントロールされるんじゃないかという恐れを持っている人も多い。

あなたはお金にコントロールされるのか。

お金をコントロールする存在なのか。

 

 

お金というと、どんなイメージを持っているのか。

黄金だろうか、円やドルだろうか。

お金というイメージに囚われすぎてはいないだろうか。

 

 

お金の不安を持つ人は、

お金が不安なのではない。

お金がどうこういう問題ではない。

 

自分の才能に自信がなかったり、

自分の才能に不安を持っていたり、

自分の人生に不安を持っていたり、

会社に不安を持っていたり。

 

ということが、一緒くたに、お金の不安と言われてしまっている。

 

 

神は何も所有しない、そしてすべてを所有する。

だから不安はない。

 

神はどこへ行っても、歓迎してくれる場所がある、

迎えてくれる場所がある。

 

神はそれに対して、対価を払っているわけではない。

人々は、勝手に神を招き入れたいと、

お供えをしたり、迎える準備をする。

 

 

何かをしなければ何かが得られないという

等価交換の次元から、まずは抜け出すこと。

 

何もしていないのに、与えられるだろう。

何もしていないのに、与えるだろう。

 

その次元を、その次元あることを、まずは知ること。