内なるマスターを呼び覚ます

カルマのないマスターにチャネリングをして、必要なメッセージをお届けします。メッセージを受け取れば受け取るほど、あなたが、あなた自身の内なるマスターを呼び覚ますことになるでしょう

繁栄の世界 -生命/なんのために生まれてきたのか-

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私たちが そしてあなたが

何のために生まれてきたのか

 

それは何かを成し遂げるために生まれてきたのではありません

 

ただ味わうために生まれてきました

 

これまでの時代は何かを成し遂げるため

何かを作り上げるために生まれてきたということもありました

 

しかしこれからの時代は

ただ味わうため ただ生きるために生まれてきたのです

 

何かのため 何かを成し遂げるため 

何かを達成するため 何かの目的のために生まれてきた

そういう人もいるでしょう

そう思っているというだけです

 

何のためにじっととどまらず

じっとその場にとどまることなく

一歩ずつ前に足を踏み出すのか

 

それは一歩ずつ足を踏み出したという感触を得るため

その感覚を得るために過ぎないのです

それが生きるということなのです

 

赤ちゃんの頃思い出してください

と言っても難しいかもしれませんが

 

赤ちゃんを見ていれば それを感じることができるでしょう

 

歩けるようになるため ハイハイができるようになるため

自分で食事ができるようになるため

そのために生きているのではなく

ただその瞬間を瞬間を生きている

 

それだけに過ぎません

 

私たちはそもそも そんな存在なのです

 

何のために勉強するのか

何のために生活をするのか

何のためにお金を稼ぐのか

何のために生きるのか

 

そういったことに対する意味を

すべて後付けをしたに過ぎないのです

 

私たちは思考 頭を使いすぎています

 

命の一部として思考があるので

思考に乗っ取られることなく命を発揮させること

 

つまり生きるから生きるということが命であるということなのです

 

 

今言われても納得がいかないかもしれません

それは私たちがいかに時代に 社会に

洗脳されてきたのかということを示しています

 

地球上には自分がまだまだ知らないことがたくさんあります

未知の世界がたくさんあります

 

にもかかわらず私たちは全て知ったような気分になり

知っている世界が全てだと勘違いをしています

 

そういう物理的なことを越えて

私たちは知らないことがたくさんあります

 

知ろうとしてこなかったことを

教えてもらえてないこと

隠されてきたことが 実はとても多いのです

 

 

ここでひとつ重要な話をしておきたいのですが

ここでいう生きるというのは

あなたが言う生きるという事は

 

おそらく肉体的に生きるということを示している事でしょう

肉体的に 肉体を持って生きることの反対は

死ぬ事、死だと考えるでしょう

 

しかし実は生きることの反対は 死ぬことではありません

その反対はなくて次のステップがあるだけ

霊的に生きると言う事があるだけです

 

 

人間には誰しも肉体的に生きる部分

感情的に生きる部分

知性として生きる部分

そして霊的に生きる部分があります

 

霊的に生きることに関しては

これは終わることがありません

 

そして同時に霊的に生きる事はもちろん

肉体を持っている 肉体的に生きながらも

霊的に生きることが可能なのです

 

 

だからこそやってはいけないことなどひとつもありません

やるべきことなどひとつもありません

やらなければいけないことなどひとつもありません

 

あることと言えば

やりたいと思えばやる やりたくなければやらない

 

私の人生は あなたの人生は

誰かのためにあるのではなく 私のために あなたのためにあるのです

 

それだけです

 

 

意味のあることをしなければならない

何かに役立つことをしなければならない

こんなことをやっても無駄だ

 

そんな思考に身を委ねるのはもう終りにしましょう

 

 

イエス・キリストは そして仏陀

どれだけの人を救ったのか 

どれだけのインパクトあることが行えたのか

ということをカウントしていたでしょうか

計測していたでしょうか

 

そうではなく 人々が救われる道はこれだということを

ただ自分の中で確信を持って

相手が受け取るもよし 受け取らぬも仕方なしという姿勢で

ただただ説いて回ったに過ぎないのではないでしょうか

 

人生を数値化することにどれだけの意味があるのでしょうか

確かに数値 数と言うものはとてもわかりやすく

他人と比較しやすいものです

 

だからこそ それに惑わされてはいけません

 

そうやって管理をしたい人たちが実施するものなのです

 

 

あなたが人生の中で何をするのか

どのようにするのかという事は

全く重要ではありません

 

どのような内面の場から

つまりどのような気持ちで どのような感情で

どのような知性で どのような霊性さで

物事を行うのか もしくは行わないのか

ということだけが重要なのです

 

 

頭で考えている事と

自分の心の内側から沸いてくるもの それを直感と言うかもしれませんし

スピリチュアルなものと言う人もいるかもしれません

 

その2つの区別をまずをつけてください

 

多くの人が誤解をしていることが

頭で考えた方が優れていると考えがちです

 

しかしながら その一方で

頭で考えて 考え込む時というのは

 

エネルギーも凝り固まって ぐっと下に落ちるような

感覚を味わうかもしれません

 

ふわっと思いついたこと

今日これやってみようかなとか

誰かに連絡を取ってみようかなとか

 

そういうふわっと感じたことについては

正しさを感じないかもしれません

 

しかしそういう直感こそが

そのような直感をキャッチして実現することが

実は生きると言うことなのです

 

そこに楽しさというものが含まれています

 

頭で考えて実行したことによって得られるものは

達成とか高揚感とか そういうものがあるかもしれません

 

それも一種の楽しさと感じる人もいるかもしれません

 

しかし魂が震えるような楽しさというものは

頭がで考えたものからは実は生まれないのです

 

 

あなたの直感的な 感覚的な思いに耳を傾け

小さな事でも実行することです

 

私たちは自分自身の声に 自分自身の心の声に

内なる声に耳を傾けることを忘れてしまっています

 

完全に忘れてはいなくとも 機会が減ってしまっています

 

生きるという事は

その直感的な感覚 直感的な思いをキャッチして

耳を傾けて実現していくプロセスなのです

 

 

私たちは本来 自分には何が必要かを知っています

ちゃんとそれがわかります

 

でも自分自身の恐怖罪の意識 恥や執着にとらわれていると

その声が聞こえません

 

聞こえなければその聖なる瞬間に出会うことができません

 

もう一度子供のように正直になることができれば

あなたの直感的な感覚 直感的な思いに耳を傾け

実行に移すことができます

 

小さな事でも1つでもそれをすることができれば

あなたは再び自分の全体を取り戻すことができます

 

そうするとさらにあなたのなかの霊的な部分

直感的な部分が輝きを増します

 

そしてまたその次の直感的な事を実感し

実行していけばいいのです

 

その繰り返しが生きると言うことです