内なるマスターを呼び覚ます

カルマのないマスターにチャネリングをして、必要なメッセージをお届けします。メッセージを受け取れば受け取るほど、あなたが、あなた自身の内なるマスターを呼び覚ますことになるでしょう

今日のメッセージ「何者か」

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何者かになろうとしていないか

何か別のものになろうとしていないか

そこを振り返るといい

 

他人の生き方を見て、あーこういう風に生きていったらいいんじゃないだろうかと

刺激を受けることも手段としてはあるけれど

それがすなわち、あなたがこんな風に生きたらいいということを示しているのではない

 

何者かそれを知ること

知ると言うのは積み重ねるものではない

何か明らかにするもの

 

暗がりの中、光を照らしてそこをじっくり見るようなもの

すでに暗がりの中にそこにある

それは暗がりだから見えていないだけで、そこに光を当てて焦点を当て、明確にすること

 

ではどうすれば自分が在るべき自分でいられているのかを知るか

 

そうでないとき、少しの違和感があるだろう

何か楽しくないかもしれない、嫌な感じかもしれない

何も感じないというのは感情を押し殺しているかもしれない、抑えようとしている何かを感じるかもしれない

何も感じないということはない

 

ワクワクしすぎるのもなにか違うものに影響を与えられているのかもしれない

何も考えない、静かさを感じるだけで淡々と進む、それはあなたにとって適正な道であろう

 

何かこういうことを成したい、こういう環境にいてこういう行動をとっていて、こんな能力を発揮している

そこにフォーカスを当てる必要ない

 

あなたは何者か、それを明らかにするものである

 

そうは思っても惑わされる

 

肉体を持っている限り惑わされることは仕方のないこと

惑わされるもので、だからといって惑わされたことにとらわれている必要はない

 

あぁ惑わされたなと気づいて、またそこから私は何者かその生き方をする

それだけで良い

 

何かこういうものになろうとか、そういった想像がつくものについてはそこは実はゴールではないことも多い

そこに捉われる必要はない

 

もし、何者かになろうとして苦しんでいるならば

内なる純粋なものにつながる時間、自己とのつながりを保つことに時間をつかうといい

 

正直それだけできていれば、

何かこんな仕事をしていないとかこんな風に遊んでしまったとか、

こんな風に時間を使ってしまったといって自分を責める必要は無い

 

どうしても探求してしまうこと、そこをどんどん探求していたらいい

止められてもこのことについて考えてしまうなぁということ

それをどんどん探求していたらいい

 

それも表に出すとか、こんな風に物理に表すとか、まとめるとか

それをやってもいいしやらなくてもいい

時が来れば必ずまとまるだろう

 

あなたの考え、内側の考えをまとめるためにそういったものは役に立つだろう

それが周りの人の役に立つかどうかまでは考える必要はない

 

油断をすれば、何者かになろうとしているかもしれない

意識することは、何者かを明らかにすること