悩みばかりが気になるあなたへ
あなたはひとつひとつの悩みに、
大きな悩み、小さな悩みに翻弄されているでしょう。
悩みがたくさんあって、困っているかもしれません。
いつになったら、この悩みから抜け出せるのだろうと
絶望に似た感覚を味わっているかもしれません。
その悩みから一旦抜け出てみてください。
いきなり難しいかもしれません。
完全に抜け出さなくても大丈夫です。
いつでも悩みの中に戻ってくることができます。
まずは、いろんな距離感があることを知ってください。
これまでの中で、
その悩みの状態にどっぷりつかって、
悩みの本質を見ようとしたり、その状況を体験する、
ということはやってきているはずです。
その場所から、その場所を置いて、
一歩外に抜け出してみてください。
そうするとあなたが感じている通り、
あなたの周りにたくさんあることに気づくでしょう。
それを、高い高い高いところから見下ろしてみてください。
そして、ひとつひとつの小ささを見てください。
近くで見ると、大きなものに感じられるかもしれません。
でも、今、高い高い高いところから見ると、
小さく見えることを感じられるでしょう。
悩みから距離を置けば置くほど、小さく見えることに
あなたは気がつくはずです。
まずは、いろんな距離感があることを知ってください。
そして、もう少し近づいて、
ひとつひとつの悩みに色をつけてみてください。
どんな色をしているでしょうか。
赤、青、黄色、緑、黒、灰色、白…
いろんな色があるでしょう。
すべて一緒の灰色だ、というような場合もあるかもしれません。
すべてが同じ色である場合、その色を一枚めくったら、
どんな色が隠れているかを見てみてください
それぞれの形、大きさはどんな大きさでしょうか。
どんな形、大きさかを確認してみてください。
手のひらサイズのものもあれば、
バランスボールのような大きなものもあるかもしれません。
ボーリングのボールのような、重さがあるものかもしれません。
まんまるではないかもしれません。
四角かもしれません、三角かもしれません。
どんな、形、大きさ、色でしょうか。
そして、それらはどこにあるでしょうか。
それらはあなたのどこにあるでしょうか。
そして、それらはあなたのどこから来ているのでしょうか。
それらの悩みをずっと持ち続けることも可能です。
ここで手放すことも可能です。
解決することが手放すことではないことを知ってください。
解決することが手放すことではないことを知ってください。
あなたが悩みに苦しんでいることを
私は知っています。
あなたが一刻も早く抜け出したいと思っていることを
私は知っています。
そして、受け取ってください。
あなたが悩みを抜け出すことをサポートしたいと
私が思っていることを。
そして、あなたの周りにそういう存在があることを
受けとってください。
もし、一人だと思うのであれば、
あなたの意識が届いていないところに
その存在があることに気づいてください。
さきほど、見た、大きさ、形、色の悩み、
ひとつひとつの悩みに稲妻を落としてください。
ひとつひとつの悩みに、稲妻を落とすと
どうなるでしょうか。
稲妻を跳ね返すかもしれません。
稲妻が突き刺さるかもしれません。
どうなるでしょうか。
その稲妻というのは
あなたの直感です、ひらめきです。
それを、どうやって解決をするか、ということではなく、
そのひらめきや直感を適用してみてください。
どうやって、そのひらめきや直感を適用したらいいか、
わからないこともあるかもしれません。
それでも、ひらめきや直感を適用し続けてください。
そのひらめきや直感が、なにも思い浮かばないと思うかもしれません。
それがどこから来るのか。
ふっと湧き上がることもあるでしょう。
誰かから聞いた言葉がなぜか気になる、ということがあるかもしれません。
はたまた、ふと手にした本の中に、
パラっと開いたページに、
何か心に留まるメッセージが在るかもしれません。
もしくは、テレビを見ていて、
何気なくドラマの中のワンシーンで、
気になった人の言葉や態度、というものかもしれません。
それらはすべて、ひらめきや直感です。
それらはすべて、メッセージです。
ひとつひとつ、キャッチしてください。
あなたが受け取る、という覚悟をすれば、
受け取る、という気持ちを持つだけで、
それらはたくさん舞い降りているということに
気づいてください。
舞い降りているのです。
そして、それらを悩みに適用してみてください。
どの悩みにどのひらめきや直感を適用したらいいか
わからないかもしれません。
先程の、いろんな形、色、大きさの悩み、
それぞれにその、ひらめきや直感の稲妻を
ひとつずつ、おろしてみてください。
そうしたときに、跳ね返されるもの。
それはその悩みに対するひらめきや直感ではないのかもしれません。
逆に、ぐさっと突き刺さるような、
稲妻が落ちることで、悩みが崩れたりするものもあるかもしれません。
それはその悩みに適切なひらめきや直感であるのかもしれません。
一見跳ね返されたものに対しても、
何度も稲妻が落ちることで、何か変化が起きるかもしれません。
そのタイミングがあることも知ってください。
お金のことが不安なあなたへ
なぜ人はお金というものにとらわれるのか。
自分が稼いだお金とか、そういうものに囚われる必要はない。
要は生きていければいいのだから。
一人ひとりによって、手に入れる方法、
うまく生きていく、ラクに生きていく方法が違うだろう。
そこには幸運も含まれるかもしれない。
だけれど過剰に恐れる必要もない。
まずは苦しんでこそ手に入るものだという
思いこみを捨てること。
大昔はないことが当たり前だった。
今と違ってその日暮らしをしていた。
狩りをして、捕まえられるかどうか、
狩りが成功するかどうかがわからない生活だった。
それが農耕暮らしをすることによって、
蓄えるということが多くなった。
予測を立てることが普通になったことから
悲劇が始まっている。
予測を立てているつもりでも、
実はそれはまったく当てにならないものでもある。
立てたという安心感だけものだったりもする。
本来はすべて、予測不可能なものなのだから。
今、現時点でたくさん稼いでいるように見える人も、
実は、来年も、再来年も
そうである保証はどこにもない。
にもかかわらず、それを信じているから
それが現実となっているに過ぎない。
いや、私は信じているのに、実現していない、と思うかもしれない。
本当に信じていることはなにか。
お金に対する恐れかもしれない。
お金に対する恐れはなくとも、
お金よりも大切にしたいことが
優先されているかもしれない。
不安な人を見つけようとすれば、
たくさんの不安な人を見つけられるだろう。
逆にお金の不安を持っていない人、
それはお金をたくさん持っている人ということではなく、
たくさん持っていても、持っているように見えても、
内心は不安に思っている人も多い。
そのお金を今、たくさん持っているかどうかではなく、
お金の不安を本当に持っている人と、
本当にお金の不安を持っていない人、
それはどんな経済レベルの人でも。
お金について考える時間、
お金という尺度に変換する習慣が強いことは不幸である。
その行動がどれくらいのお金を生み出すのかということではなく、
その行動がどれくらいの喜びをもたらすものなのか、
という新しい基準。
自分で新しい単位をつくるような。
それを人は、ときめきというかもしれない。
至福というかもしれない。
基準を変えてうまくいっている人は多い。
負け惜しみでなく、
お金に囲まれたところで幸せに、
本当の幸せが得られないだろう、ということに
気づいている人は多い。
お金にコントロールされるんじゃないかという恐れを持っている人も多い。
あなたはお金にコントロールされるのか。
お金をコントロールする存在なのか。
お金というと、どんなイメージを持っているのか。
黄金だろうか、円やドルだろうか。
お金というイメージに囚われすぎてはいないだろうか。
お金の不安を持つ人は、
お金が不安なのではない。
お金がどうこういう問題ではない。
自分の才能に自信がなかったり、
自分の才能に不安を持っていたり、
自分の人生に不安を持っていたり、
会社に不安を持っていたり。
ということが、一緒くたに、お金の不安と言われてしまっている。
神は何も所有しない、そしてすべてを所有する。
だから不安はない。
神はどこへ行っても、歓迎してくれる場所がある、
迎えてくれる場所がある。
神はそれに対して、対価を払っているわけではない。
人々は、勝手に神を招き入れたいと、
お供えをしたり、迎える準備をする。
何かをしなければ何かが得られないという
等価交換の次元から、まずは抜け出すこと。
何もしていないのに、与えられるだろう。
何もしていないのに、与えるだろう。
その次元を、その次元あることを、まずは知ること。
「完璧ではない」「自分はダメだ」と悩むあなたへ
あなたは、自分のことを完璧ではないと思っているかもしれません。
自分はダメな存在だと思っているかもしれません。
何かを手に入れて、完璧な存在にならなければいけないと思っているかもしれません。
誰かから、欠点を指摘されて、克服したいと思っているかもしれません。
誰かに比べて劣っていると感じているかもしれません。
どうすれば、完璧な存在になれるだろうかと、
一生懸命に努力を積み重ねているかもしれません。
にもかかわらず、一向に、完璧な存在になることができず、
どうしたらいいのか途方にくれている、絶望しているかもしれません。
人は生まれながらにして完璧です。
完璧、といわれたときに、違和感があるかもしれません。
それは完璧という言葉が誤解されているからです。
人は本質的に魂であり、純粋な存在であり、霊的な存在です。
完璧は、なにひとつ、不自由なくできること、行動できる能力のようなものをいうわけではありません。
存在として完璧なのです。
たとえ、身体に不自由があったとしても、心に不自由があったとしても、すべての人が存在として完璧なのです。
それは、人は生まれながらにして、魂であり、純粋で霊的な存在であるからです。
何かを得ていないから完璧ではない、達成していないから完璧ではない、という人もいるでしょう。
その次元もあるでしょう。
その次元に生きたいのであればそれはそれでいいでしょう。
それもひとつの正解でしょう。
本来の意味は違うことを知ってください。
ただ在ること。
これだけで、完成されたものなのです。
本当の「完璧」の意味を知ってください。
「自分にはできない」と思っているあなたへ