内なるマスターを呼び覚ます

カルマのないマスターにチャネリングをして、必要なメッセージをお届けします。メッセージを受け取れば受け取るほど、あなたが、あなた自身の内なるマスターを呼び覚ますことになるでしょう

悩みばかりが気になるあなたへ

f:id:Introspection:20180814121936j:plain

あなたはひとつひとつの悩みに、

大きな悩み、小さな悩みに翻弄されているでしょう。

悩みがたくさんあって、困っているかもしれません。

いつになったら、この悩みから抜け出せるのだろうと

絶望に似た感覚を味わっているかもしれません。

 

その悩みから一旦抜け出てみてください。

いきなり難しいかもしれません。

完全に抜け出さなくても大丈夫です。

いつでも悩みの中に戻ってくることができます。

 

まずは、いろんな距離感があることを知ってください。

 

これまでの中で、

その悩みの状態にどっぷりつかって、

悩みの本質を見ようとしたり、その状況を体験する、

ということはやってきているはずです。

 

その場所から、その場所を置いて、

一歩外に抜け出してみてください。

 

そうするとあなたが感じている通り、

あなたの周りにたくさんあることに気づくでしょう。

 

それを、高い高い高いところから見下ろしてみてください。

そして、ひとつひとつの小ささを見てください。

 

近くで見ると、大きなものに感じられるかもしれません。

でも、今、高い高い高いところから見ると、

小さく見えることを感じられるでしょう。

 

悩みから距離を置けば置くほど、小さく見えることに

あなたは気がつくはずです。

 

まずは、いろんな距離感があることを知ってください。

 

そして、もう少し近づいて、

ひとつひとつの悩みに色をつけてみてください。

 

どんな色をしているでしょうか。

赤、青、黄色、緑、黒、灰色、白…

 

いろんな色があるでしょう。

すべて一緒の灰色だ、というような場合もあるかもしれません。

すべてが同じ色である場合、その色を一枚めくったら、

どんな色が隠れているかを見てみてください

 

 

それぞれの形、大きさはどんな大きさでしょうか。

どんな形、大きさかを確認してみてください。

 

手のひらサイズのものもあれば、

バランスボールのような大きなものもあるかもしれません。

ボーリングのボールのような、重さがあるものかもしれません。

 

まんまるではないかもしれません。

四角かもしれません、三角かもしれません。

 

どんな、形、大きさ、色でしょうか。

 

 

そして、それらはどこにあるでしょうか。

それらはあなたのどこにあるでしょうか。

 

そして、それらはあなたのどこから来ているのでしょうか。

 

それらの悩みをずっと持ち続けることも可能です。

ここで手放すことも可能です。

 

解決することが手放すことではないことを知ってください。

 

解決することが手放すことではないことを知ってください。

 

あなたが悩みに苦しんでいることを

私は知っています。

 

あなたが一刻も早く抜け出したいと思っていることを

私は知っています。

 

 

そして、受け取ってください。

あなたが悩みを抜け出すことをサポートしたいと

私が思っていることを。

そして、あなたの周りにそういう存在があることを

受けとってください。

 

もし、一人だと思うのであれば、

あなたの意識が届いていないところに

その存在があることに気づいてください。

 

 

さきほど、見た、大きさ、形、色の悩み、

ひとつひとつの悩みに稲妻を落としてください。

 

ひとつひとつの悩みに、稲妻を落とすと

どうなるでしょうか。

 

稲妻を跳ね返すかもしれません。

稲妻が突き刺さるかもしれません。

 

どうなるでしょうか。

 

 

その稲妻というのは

あなたの直感です、ひらめきです。

 

それを、どうやって解決をするか、ということではなく、

そのひらめきや直感を適用してみてください。

 

どうやって、そのひらめきや直感を適用したらいいか、

わからないこともあるかもしれません。

 

それでも、ひらめきや直感を適用し続けてください。

 

そのひらめきや直感が、なにも思い浮かばないと思うかもしれません。

それがどこから来るのか。

 

ふっと湧き上がることもあるでしょう。

誰かから聞いた言葉がなぜか気になる、ということがあるかもしれません。

はたまた、ふと手にした本の中に、

パラっと開いたページに、

何か心に留まるメッセージが在るかもしれません。

 

もしくは、テレビを見ていて、

何気なくドラマの中のワンシーンで、

気になった人の言葉や態度、というものかもしれません。

 

それらはすべて、ひらめきや直感です。

それらはすべて、メッセージです。

 

ひとつひとつ、キャッチしてください。

 

あなたが受け取る、という覚悟をすれば、

受け取る、という気持ちを持つだけで、

それらはたくさん舞い降りているということに

気づいてください。

 

舞い降りているのです。

 

 

そして、それらを悩みに適用してみてください。

 

どの悩みにどのひらめきや直感を適用したらいいか

わからないかもしれません。

 

先程の、いろんな形、色、大きさの悩み、

それぞれにその、ひらめきや直感の稲妻を

ひとつずつ、おろしてみてください。

 

そうしたときに、跳ね返されるもの。

それはその悩みに対するひらめきや直感ではないのかもしれません。

 

逆に、ぐさっと突き刺さるような、

稲妻が落ちることで、悩みが崩れたりするものもあるかもしれません。

それはその悩みに適切なひらめきや直感であるのかもしれません。

 

一見跳ね返されたものに対しても、

何度も稲妻が落ちることで、何か変化が起きるかもしれません。

 

そのタイミングがあることも知ってください。

 

お金のことが不安なあなたへ

f:id:Introspection:20180813162957j:plain

 

なぜ人はお金というものにとらわれるのか。

 

 

自分が稼いだお金とか、そういうものに囚われる必要はない。

要は生きていければいいのだから。

 

一人ひとりによって、手に入れる方法、

うまく生きていく、ラクに生きていく方法が違うだろう。

 

そこには幸運も含まれるかもしれない。

だけれど過剰に恐れる必要もない。

 

 

まずは苦しんでこそ手に入るものだという

思いこみを捨てること。

 

 

 

大昔はないことが当たり前だった。

今と違ってその日暮らしをしていた。

 

狩りをして、捕まえられるかどうか、

狩りが成功するかどうかがわからない生活だった。

 

それが農耕暮らしをすることによって、

蓄えるということが多くなった。

予測を立てることが普通になったことから

悲劇が始まっている。

 

予測を立てているつもりでも、

実はそれはまったく当てにならないものでもある。

立てたという安心感だけものだったりもする。

 

本来はすべて、予測不可能なものなのだから。

 

 

今、現時点でたくさん稼いでいるように見える人も、

実は、来年も、再来年も

そうである保証はどこにもない。

 

にもかかわらず、それを信じているから

それが現実となっているに過ぎない。

 

 

いや、私は信じているのに、実現していない、と思うかもしれない。

本当に信じていることはなにか。

 

お金に対する恐れかもしれない。

お金に対する恐れはなくとも、

お金よりも大切にしたいことが

優先されているかもしれない。

 

 

 

不安な人を見つけようとすれば、

たくさんの不安な人を見つけられるだろう。

 

逆にお金の不安を持っていない人、

それはお金をたくさん持っている人ということではなく、

たくさん持っていても、持っているように見えても、

内心は不安に思っている人も多い。

 

そのお金を今、たくさん持っているかどうかではなく、

お金の不安を本当に持っている人と、

本当にお金の不安を持っていない人、

それはどんな経済レベルの人でも。

 

 

お金について考える時間、

お金という尺度に変換する習慣が強いことは不幸である。

 

その行動がどれくらいのお金を生み出すのかということではなく、

その行動がどれくらいの喜びをもたらすものなのか、

という新しい基準。

 

自分で新しい単位をつくるような。

それを人は、ときめきというかもしれない。

至福というかもしれない。

 

基準を変えてうまくいっている人は多い。

 

 

負け惜しみでなく、

お金に囲まれたところで幸せに、

本当の幸せが得られないだろう、ということに

気づいている人は多い。

 

お金にコントロールされるんじゃないかという恐れを持っている人も多い。

あなたはお金にコントロールされるのか。

お金をコントロールする存在なのか。

 

 

お金というと、どんなイメージを持っているのか。

黄金だろうか、円やドルだろうか。

お金というイメージに囚われすぎてはいないだろうか。

 

 

お金の不安を持つ人は、

お金が不安なのではない。

お金がどうこういう問題ではない。

 

自分の才能に自信がなかったり、

自分の才能に不安を持っていたり、

自分の人生に不安を持っていたり、

会社に不安を持っていたり。

 

ということが、一緒くたに、お金の不安と言われてしまっている。

 

 

神は何も所有しない、そしてすべてを所有する。

だから不安はない。

 

神はどこへ行っても、歓迎してくれる場所がある、

迎えてくれる場所がある。

 

神はそれに対して、対価を払っているわけではない。

人々は、勝手に神を招き入れたいと、

お供えをしたり、迎える準備をする。

 

 

何かをしなければ何かが得られないという

等価交換の次元から、まずは抜け出すこと。

 

何もしていないのに、与えられるだろう。

何もしていないのに、与えるだろう。

 

その次元を、その次元あることを、まずは知ること。

「完璧ではない」「自分はダメだ」と悩むあなたへ

f:id:Introspection:20180812183945j:plain

 

あなたは、自分のことを完璧ではないと思っているかもしれません。

自分はダメな存在だと思っているかもしれません。

 

何かを手に入れて、完璧な存在にならなければいけないと思っているかもしれません。

誰かから、欠点を指摘されて、克服したいと思っているかもしれません。

誰かに比べて劣っていると感じているかもしれません。

 

どうすれば、完璧な存在になれるだろうかと、

一生懸命に努力を積み重ねているかもしれません。

 

にもかかわらず、一向に、完璧な存在になることができず、

どうしたらいいのか途方にくれている、絶望しているかもしれません。

 

 

 

人は生まれながらにして完璧です。

 

完璧、といわれたときに、違和感があるかもしれません。

それは完璧という言葉が誤解されているからです。

 

 

人は本質的に魂であり、純粋な存在であり、霊的な存在です。

 

 

完璧は、なにひとつ、不自由なくできること、行動できる能力のようなものをいうわけではありません。

 

存在として完璧なのです。

 

たとえ、身体に不自由があったとしても、心に不自由があったとしても、すべての人が存在として完璧なのです。

 

それは、人は生まれながらにして、魂であり、純粋で霊的な存在であるからです。

 

何かを得ていないから完璧ではない、達成していないから完璧ではない、という人もいるでしょう。

その次元もあるでしょう。

その次元に生きたいのであればそれはそれでいいでしょう。

それもひとつの正解でしょう。

 

本来の意味は違うことを知ってください。

 

ただ在ること。

 

これだけで、完成されたものなのです。

 

本当の「完璧」の意味を知ってください。

 

 

「自分にはできない」と思っているあなたへ

f:id:Introspection:20180402095809j:plain

 

自分にはできないという縮こまった思いの内側、その内側、その内側、その内側、その内側、そこに何が存在するのか。
 
そこには小さな芽があるはず。
自分にはできる、と信じている小さな芽が。
 
その芽はまだ双葉かもしれない、ほんのささやかなものかもしれない。
 
それを守りたくて仕方がない。
 
あなたが覆いかぶさることで、日光が届いていない。
弱々しく生きているかもしれない。
 
だけれどそこには、成長する大いなるエネルギーが含まれている。
 
そして少し顔を上げれば、その芽はたくさんあることに気づくだろう。
たったひとつではなく、そこらへんにびっしり生えている。
そんな芽に気づくだろう。
あなたは覆いかぶさるのをやめれば。
 
あなたが思っているより、外の世界は美しい、外の世界は温かい。
そしてひとつの種がダメになったとしても、その他は決して枯れることはない。
様々な耐性、様々な性質があるから。
 
そしてあなたは、次々に種をまき、次々に芽吹きを生み出すことができる。
 
大きく育ったものからは、花が咲き、実がなり、楽しみ、そして種を取ることができる。
 
顔を上げれば、ずいぶん大きくなった木に気づくだろう。
いろーんな種類の木がそこに存在する。
それはすべてあなたが顔を上げたから。
あなたがいくら覆いかぶさろうとも、勝手に芽吹くことがあるだろう。
 
私にはできないという思いについて。それはどこから来るのか。
そして、どこへ向かっていくのか。
 
どんなに強くあなたができないと思っても。
ずーっとできなく存在し続けることは不可能である。
 
私にはできないという思いについて、私はそれを尊重する。
 
私と他人は違うんだという思いについて、私はそれを尊重する。
 
それで良いとか悪いとか判断するのは人間の思考であり、
良いものでも悪いものでもない。私はそれを尊重する。
 
ときに水に流してしまえばいい。
 
水に流れた後に、残っている芽は必ずあるだろう。

形のないものを表現したいあなたへ

f:id:Introspection:20180401213327j:plain

つながり続けること。
形のないものに浸ること。
 
そこで見える世界。
聞こえること。
体感すること。
 
そこから始まる。
 
その世界に生きているのか、別の世界に生きているのか、分からなくなるほどに。
 
私は神の純粋な願望である。
それを指針にすること。
 
エゴが入っていないのか、常にチェックすること。
 
私がやっているのではなく、私の手を通して、身体を通して、ただ筒のように。
私が生み出しているのではなく、ただ通しているだけ。

自力、他力、それをも超えて

f:id:Introspection:20180401102900j:plain

自分がやっていると意識があるもの、自分がやっていると意識がないもの。
自分が知らずにできるもの、意識しなくてもできるもの。それは贈り物である。
 
それはすなわち他力である。
 
そして他人が手を貸してくれること、それもすなわち自力である。
あなたがあなたであるからこそ、手を貸してくれる。
 
まれに、誰でも手を貸してくれる人もいるけれど。
 
すべてが流れるように進んでいく。
 
河はひとつとして、一瞬として同じものはない。
流れている水は、とめどなく流れる。
一滴として同じ水がそこにあるわけではない。
 
それがいいのか、悪いのか。
それを判断するのは、人間の思考である。
 
すべてが自分の力であり、すべてが他人の力である。
 
その世界は今とまったく一緒。
 
そこに抗うか否か。
そこに身を委ねるか否か。
それを受け止めるかどうか。
 
その違いだけに過ぎない。
 
すでに自力、他力、それをも超えた世界は存在する。
 
どこかまったく新しい世界なのではない。
 
そこにたどり着くにはどうすればいいか。
 
自力と他力を区別する必要はない。
 
やりたいことはやればいい。やれることはやればいい。
その他を手放す。
 
すでにその一歩は踏み出している。その一歩は体感している。
 
そこに感謝の気持ちを持つこと。
 
何かを示すのではなく、自分の心の中で、感謝を表す。感謝の気持ちを持つ。
 
それは自分の内なる宇宙が実現したものだから。
 
自分の中に、感謝を広げる。
 
そしてまた、周りの世界、物質世界の周りの世界に役立つ一歩を踏み出す。
ただそれだけ。

豊かさを手に入れたいあなたへ

f:id:Introspection:20180331170300p:plain

 
豊かになるということ。
 
それは定量ではない。
 
物質的な豊かさと精神的な豊かさ、目に見えない豊かさというものは、どちらに重さがあるものではない。どちらが重要であるというわけでもない。
 
豊かさという粒子でできているだけ。
 
人は豊かではないというときには、物質的な豊かさを表していることが多い。
物質的な豊かさよりも精神的な豊かさのほうが多い。精神的な豊かさを「圧倒的に」感じられている人が、豊かさを感じられている。
 
豊かになりたいということが、どういうことなのか。
氷山の一角。目に見えるものは氷山の一角。
目に見えないところ、氷山の下の豊かさに気づく。
 
人によって、豊かさの定義は違うとも言えるし、だいたい同じとも言える。
 
いつでも豊かになることはできる。
 
豊かさが降ってくるものでもあり、自分で手に入れるものでもある。
 
想像できないと、望まないと手に入れられないものではない。
 
身体を持って物質世界で生きているのだから、物質的豊かさを求めることは健全である。
 
その物質が何からできているのか、がとても重要。
手にしたら実は砂だった、崩れていくということもある。
物質にも違いがある。
物質の振動、物質の粒子。それには意識を払う必要がある。
 
間違い探し。だからこそ正しさ
自分の心に意識を向ける。魂が震えるものか、そういうことに意識を向ける。
それらを集めること。それらで構成すること。
 
お金とは、同じお金の形をしていても、同じくエネルギーや粒子の違いがある。
豊かさ、誰しもが享受できるもの。
 
いつでも最大限に享受できる。
もっと豊かになっていい。
 
豊かさと共存できる。豊かさと持続可能性は共存できる。
 
豊かさは無限にある。